なんちゃって表彰制度は素晴らしそう
最近、なんちゃっての表彰制度を作った。
月に2名、Growth Mindsetで頑張った人、要するに、チャレンジして頑張った人を選び、表彰するというものである。
その表彰の賞は「フクロウのシール」である。このフクロウのシールも、生成AIを駆使しつつ、自作したものであり、手作り感満載である。
また、「誰が選ぶか」という部分は、毎回、くじ引きでチーム内から2名を選び、その2名が1名ずつ選ぶという形にしている。誰か特定の人(チームのリーダーなど)を選ぶと、視点が偏るなと思ったので、そのような仕組みにした。
で、やってみての感想は
- 素晴らしい
- 理由 #1:
- やはり褒められるとうれしい
- 理由 #2:
という感じである。
想像していた以上に素晴らしいなこれと思った。
より大きな組織(100人~120人)で、半年に1回、「部長表彰」みたいな制度があるが、これだとチームに対しての賞であり、かつ、頻度も少ないので、こういった小さいチームでの「毎月褒める」という習慣は非常に有効では?と思う。
おすすめである
「仕事を抱え込む」という問題について
最近、あるメンバーが、自分の仕事を抱え込んでしまい、最終的に「無理だ〜」となって、いきなり「いったん暫定対処をした上で、その後、最終形に持っていく」という提案をしてきた。
幸い、タイミング的にはまだ時間の猶予があり、本来の方向性(最終形に持っていく形)のまま、いろいろな障壁を取り除いて進めましょう、他のメンバーも協力しましょうとなったが、いずれにせよ、「あ〜、やっぱりこういうことは起きるのか」と思った。
抱え込む前に相談してくれればいいのにと思うが、なかなか相談しない人もいるようである。なんとなくだが、
- 見積もりが甘い、あるいは、そもそも見積もりをしていない
- 人に助けを求めるのが苦手、あるいは、恥ずかしいと思っている
という2つの要素がYESの人にありがちなのかもしれないと思った。
という意味では、その人の性格や仕事の進め方をよく観察しつつ、1on1で「どんな感じの見積もりですか?」「助けは必要そうですか?」「障壁はありますか?」と訊くべきなのだろうなと思う。
やはり1on1は重要
しっかりフィードバックする文化をつくろう
偉い人が失言をしたというニュースを時々見る。
こういった偉い人は、これまでの人生の中で似たような発言をしてきたが、これまでの立場ではあまり問題になっておらず、ある程度、偉くなった時にそのまま発言してしまって、失言とみなされたということかなと思う。
では、偉くなる前なら問題なかったのかというと、問題なのではと思う。ただ、公にならなかったから失言とみなされなかったということかなと。
で、ポイントは、
- その人の周りの人が、そういった失言に対して、適切にフィードバックをしてこなかった
ということだと思う。もちろん、それは周りの人の責任ではなく、
- その当人が、失言をしたときに、周りの人がちゃんとそれを諌めてくれるような文化・雰囲気を作ってこなかった
ということかな〜と。
実際のところ、ある組織の偉い人はそれなりの権力を持っており、その人に対して「今の発言はおかしいですよ」というのはなかなか大変である。言うメリットよりも、言うデメリットの方が遥かに大きく感じられる。
だからこそ、その偉い人自らが「そういう時はどんどん『おかしい』と声を上げてね。Welcomeだから」と言わないといけない。と言いつつ、難しいが。
数年前に読んだNetflix創業者の「No Rules Rule」をもう一度読もうかなと思った。
「最大の学びは何ですか?」
最近、若手(社会人3年目ぐらい)のプロジェクトのReviewをする機会があった。
そのプロジェクトは、研修の一環でもあり、「若手が自ら提案して主体的に動く」という主旨のものである。
私は、育成担当としてReviewをしているので、プロジェクトの内容もReviewを行うが、育成という視点でも見る必要がある。
で、そのReviewの時に必ず訊いたのは、「これまでの数ヶ月で最大の学びは何ですか?」という質問である。
何となく質問したのだが、返ってくる答えや反応を見ていると、「あ、これって良い質問なのだな」と思った。
ありきたりな言葉だが、内省を促す効果があるのだなと。
育成とは言っても、誰もが「良い結果を出したい。中間報告や最終報告で無様な発表はしたくない。」という思いがあり、どう結果を出すか、まとめるかに意識が行きがちなところを、この質問は「自らの成長に意識を向ける」という意味で有効だな〜と思う。
教育における変革について
最近、ちょっとしたきっかけで、いかに教育を変えていくべきかというのを少し考えた。また、「スクールシフト」という本も読んだ ↓
ここに記載されている内容は、いろいろあるのだが、いくつか抜粋すると、
- 主体的に考える、発言する、アクションをする
- 異なる考えの人とコミュニケーションを行う(外に染み出す)
- チームで進める
- チームの心理的安全性を高める
- Will/ Must/ Cantのバランスを考えつつ、自分のWillを大事にする
- ...
など、今、自分の組織のチームで「こうやってやっていこうね!」と言っている内容と全く同じだな〜と思った。
冷静に考えれば、学校とは、社会に出て働くための準備を行う場所であり、学校の中でやろうとしていることと、実際に働く組織の中でやろうとしていることは、一致していて叱るべきだなと思いつつ、新たな発見だなと思った。
逆に言うと、20年前、30年前においても、学校でやろうとしていたことと、実際に働く組織の中でやろうとしていたことは、ある程度、一致していて、単一的な価値観や目標のもとに、管理的に学校教育/マネジメントが行われていたのかなと思う。
と考えると、学校の中の変革は、企業の中の変革としっかりやってのけた人が参画すると、一気に前に進むのではと思った。
ささいなことかもしれないが、面白いな〜と思う。
"Humor, Seriously"を読んで
先日、「Humor, Seriously」という本を読んだ:
この本の主張を端的に言うと、
- 職場にもっとHumorを増やすべき!
- Humorのセンスのある人は、より出世し、リーダーのポジションに就く
- 真面目さと楽しさ/軽薄さのバランスが取れた文化は、チームのパフォーマンスを向上させる
- 何故なら、笑いがある方がより円滑なコミュニケーションが生まれ、心理的安全性が上がるから
という感じである。
私自身は、大阪の出身ということもあり、比較的自然と「笑い」を追い求めるところがあるとは思う。一方で、芸人ではないので、「ある程度は」というレベルだが。
実際、社内のプレゼン(特に偉い人へのプレゼン)では、みんな、真面目に話しすぎだと感じていて、「もっと楽しく、普通の言葉で説明できないのかな〜」と思っていた。
この本を読んでみて、「笑いを追い求めることは正しい!」というお墨付き(Justitification)をもらった気がしてよかったなと思う。
今までのやり方は間違ってなかったんだ、もっとやっていこうという感じである。
実際、自分の回りの偉い人でも、いつもふざけたことを言う人は結構な割合でいて、今、思うと、いつもふざけているからこそ、昇進できたのかもしれないなと思う。
また、昔ならいざ知らず、現代のような「VUCAの時代」、「正解など存在せず、自ら正解を創り上げていく時代」においては、まさに「笑い」というのは強力なツールなのかなと思う。
実際、笑うと、脳内にDopamineやOxytocin、Endorphinsが増え、また、Cortisolが減るらしい。さらに、前頭葉も刺激されるらしい。要は、物理的?/化学的?にも仕事で笑いを追い求めることは良いことづくめのようである。
引き続き、Humorを持って生きていこうと思う!!!
おまけ
ふと思ったが、社内の偉い人へのプレゼンは、例えば、
- 必ず1つは「Humor & Levity」を入れる
とかをルール化するといいのでは、と思う。
特に、幹部向けの説明で、かつ、若手が説明するときにそういうルールを課すと、より良い議論ができるのではと思うが、どうだろうか。。。