「対話/雑談の重要性」について
先日、長年、一緒に仕事をしてきた方(以下、Aさん)と「対話/雑談の重要性」について話をした。自分の頭の整理も兼ねて、以下にまとめる:
Aさんと話した内容
Aさんとは、2014年頃から上長(私)- 部下(Aさん)という関係であった。
で、2014年〜2016年はほぼ同じ場所に住んでいたこともあり、週に3回ぐらいは、Aさんの車で片道30分の道のりを一緒に帰っていた。
当然、黙りこくるのは変なので、お互い何かしらの雑談をする。
当時は何の気なしに雑談していたが、今、思うと、この雑談によって、お互いの関係の間に大きな心理的安全性が生まれていたなと思う。
数年前にビジネススクールでの振り返りにおいても、まさに、このAさんとの経験を 題材に「雑談が大事!」というEssayを書いた記憶がある。
Aさん自身も、その会話の中で、
- あの一緒に車で帰っていたのはよかった
- あれがあるから、何でも話せる
- 話していて「あれ?」となっても、まあいいかとなる
- この人の考えや発言、行動の振れ幅はこれぐらいという感覚を持てる
と言っていて、「おおぅ、まさに同じ感覚だ」と思った。
より普遍的に整理すると
この学びをより普遍的に整理すると、
- Talk a lot.(たくさん話せ!)
になるのかなと思う。
米国では、もともとDiverseな人々の集まりなので、
- TeamにConflictが起きたときは、"Talk a lot." で乗り切れ
と教えられる。
一方、日本は、
- TeamにConflictが起きたときに、まずは相手のことを察しろ
というノリが未だに強いし、無意識の内にそうする場合が多い。
そして、その「察する」が「我慢」につながり、その「我慢」が溜まって悲劇(我慢したほうがTeamを離れる、会社を辞めるなど)が生まれてしまうことがあるのでは?と思う。
ただ、日本でも、もはやそういう時代ではないし、特に、Data Analytics/ Cloud/ Software Engineeringの世界では、変化も激しすぎて、「察しろ」ではWorkしないよなと思う。
というわけで、
Talk a lot !!!
で行きたいと思う。